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GW映画として封切りされた「バベル」、思わぬかたちで話題になっているようだが、作品内容についてもレビューの賛否両論が極端で面白い。確かに、菊池凛子のアカデミー賞絡みで注目を集めたり、ブラピの新作といった理由で、心の準備なしに軽い気持ちで見に行くと、その鑑賞体験の思わぬ厳しさに衝撃を受けてしまうかもしれない。実際私もその口だったのだが・・・
(以下、ネタバレ注意)この「バベル」というタイトルにも示されているとおり、映画全編を貫く主題は、必然性を欠いた因果=混乱と、コミュニケーションの断絶である。モロッコ、メキシコ(アメリカ)、そして東京という世界の異なる場所で同時並行的に展開するエピソードでは、主人公達は偶発的に巻き込まれた事態(狙撃、不法入国者としての逃亡、そして母の自殺)に翻弄され、また異民族の村、国境地帯の砂漠、そして新宿の市街といったさまざまな場所でコミュニケーション不可能な状況に置き去りにされる。 中でも、聾の高校生であるチエコ(菊池凛子)はもっとも直接的に、生まれながらのコミュニケーションの断絶を体現している(TV電話ケータイが効果的に用いられる)が、果たして渋谷や新宿でたむろする健常者の若者達には本当にコミュニケーションが成立しているだろうか?と映画の描写は語りかけているようだ。 また、世界各地で起こる3つのエピソードを繋ぐのが一丁の猟銃なのだが、登場人物同士のつながりは明らかに必然性が薄い(役所広司はなぜモロッコでハンティングをしているのか?菊池凛子はなぜ発情した聾者である必要があるのか?)。これらはストーリーの辻褄あわせというよりも、むしろ意図的に説明を放棄し、現実の出来事の偶発性や無意味性を強調する狙いというべきだろう。賛否両論の理由の一つとなっているのがこの点で、いわゆるハリウッド映画的な、誰もが納得できるわかりやすいストーリーの必然的因果の説明を行わずに、観客に疑問符を突きつけ、消化不良な混乱した気持ちにさせてしまうようなのだが、それこそがこの映画の主題なのだ。 この作品の鑑賞体験の厳しさをなしているのが、視覚的・聴覚的・そして触覚的な「痛み」が演出効果として画面に刻み込まれている点。狙撃され大量出血したスーザン(ケイト・ブランシェット)を止血するために麻酔なしで縫うシーンや、灼熱の砂漠で彷徨うアメリア、さらには気分を悪くした人が出て話題となったチエコが新宿のクラブで体験する大音量と光の点滅のシーンなどは、観客をスクリーンの外で安住させずにまさに「痛み」を共有させてしまう。菊池凛子のセクシャルなシーンをはじめ、いわゆる「アカデミー賞」映画を観にきた人にとっては、この痛みは不快感以外の何物でもないかもしれない。 正直なところ、東京の女子高生の性的なエピソードの描かれ方は、今の日本が海外にこのように象徴的に捉えられていると思うとなんともいえない気持ちになったり、脚本にはいろいろ言及したい点はあるものの、映画そのものは駄作どころか、非常に豊かな外部体験を与えてくれる作品だと思う。ただし、GWのデートにはお勧めしませんが・・・
by keidd
| 2007-05-03 10:30
| 東京映画
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