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ふだん、ブランドづくりに関わる仕事をしていることもあるのだろうが、ワインというものの興味深い点の一つに、「ブランド」の力をいろいろな意味で実感できることがある。
国や地域や畑、シャトーやドメーヌの作り手、そしてヴィンテージに批評家のポイントなど、さまざまな情報が同じ一本のボトルに詰められたワインの相対的な価格を左右して時価(数百円から数百万円に至る)が形成されていくわけで、じっさいワインほど多様で複雑なブランドが機能しているカテゴリはなかなか見当たらない。中でもブルゴーニュ・ワインは、極度に細分化された作り手と畑のブランドによる価格形成力の凄さがあって、それが神秘性をもたらしている。 神話化されたブランドは多くの人々の憧れと欲望を生み出し、それが価格をつり上げて時として投機を生み出す。確かに高い値段を払ってまで手に入れる価値のあるものも多いが、世の中には、価格妥当性など関係なく高いことに価値のある(つまり、それを手に入れることがステイタスや自己表現になる)ブランドというものが実際に存在するし、ワインの世界でもそれは同様だ。 私はおいしいワインには目がないが、基本的に序列化された「ブランド」を消費するのは好まない(高価なブランドワインを妄信的に求める女性には興冷めしてしまう)。また、所有することに価値を見いだすコレクターでもないので、その体験の価値に見合わない、また身の丈に合わない消費財に高額な出費をすることはあまりエレガントではないと考えている。 それはたぶん、ワインを飲むという体験が個別的で、時と場所と相手と飲み方によって唯一の体験に昇華していくところにより魅力を感じるからだ。かつてワインを扱った映画「Sideways」で、自暴自棄になった主人公が61年のシュヴァル・ブランを場末のハンバーガー・レストランの発泡スチロール・コップで開けてしまうくだりがあったが、これはワインが体験としての価値を生み出す機会を自ら殺してしまった、まさに象徴的なシーンだといえよう。 ![]() 一本のボトルを通じてブランド価格と現実との乖離を体感する自腹の勉強料ということもあるが、年に一度の特別な時間に飲む体験としてワインを考えたとき、平均寿命を考えるとあとわずか40本も選べないかも、と思ってしまい、向かい合って体験しておきたいワインだったから。 で、誕生日に結局どうしたかというと、怖くて開けられませんでした(万一状態が悪かったらショックも大きいし)。もちろんストックしてコレクションをするつもりはないので、今年中に、開ける価値のある体験が作り出せるタイミングを見つけられればと思っているのだが・・・
by keidd
| 2007-11-01 12:22
| 東京雑感
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